「如実知見」のほんとうの意味

2016年10月28日

おはようございます。小出遥子です。

最近、私は、○○のひとつ覚えのように
「如実知見(にょじつちけん)ってホント大事!」
みたいなことを言い続けていますが、
いや、これ、ホントにすべての基本なんです。
これさえできれば一切はととのってしまうので。

如実知見というのは、「自分」を持ち出さずに、
物事をありのままに見つめることです。

……と言うと、
「自分を通さずに、つまり、思考や感情を持たずに
物事を見るなんて、はっきり言って不可能じゃないですか!?」
みたいなことを思ってしまいますよね。
私も、そう思っていました。

でも、「ムリムリ~」と言って諦めてしまう前に、
「じゃあ、その思考や感情は、いったい誰が浮かべているの?」
というところを「如実知見」してみませんか?

思考や感情の内容を観察するんじゃないんです。
思考や感情それ自体が、いったいどこから湧き上がってくるのか、
その出どころを、虚心坦懐に観察するんです。

しずかに、ただただ観察を進めていくと……
思考や感情は、決して「自分が」浮かび上がらせているわけではない、
という事実に行き当たります。

思考や感情を浮かび上がらせる主体はどこにもいなくて、
それらは瞬間ごとに、どこからともなくやってきて、
どこへともなく消え去っていくだけだ、ということがわかると、
そもそもすべては縁の中で「自分」不在のままに
おのずから起こっていることが、ストン! と理解されます。

「如実知見」というのは、
元々存在している自分を滅したところから物事を見つめることではなく、
そもそもなにかをしている「自分」などどこにもいない、という事実に気づき、
立ち起こってくるすべてとただただともにあること、
その状態を指すことばなのかもしれません。

ほんとうは、ぜんぜん難しいことじゃないんですよね。
難しい、という思い込みが、ほどけるといいですね。

 

空気がひんやりとしています。
お風邪など召されませんよう、どうかご自愛くださいね。

よい一日をお過ごしください◎