「如実知見」のほんとうの意味 その2

2016年10月29日

おはようございます。小出遥子です。

突然ですが、みなさん、この絵(というか図形?)は見たことありますか?

sakushi

この絵は?

sakushi1

じゃあ、この絵は?

sakushi2

この3つ、いずれも有名な「錯視(さくし)」のサンプル絵です。

いやー、面白いですよね。

1番目は、どう見たって上の直線の方が長く見えるし、
(実際は上の直線と下の直線の長さに変わりはない)
2番目は、どう見たって左の図形の中央の丸の方が大きく見えるし、
(実際は左右の図形の中央の丸の大きさに変わりはない)
3番目は、どう見たって中央に向かって渦を巻いているように見える。
(実際は同心円が並んでいるだけ。指やマウスで辿るとわかります)

人間の脳って、かくも騙されやすいものなのか~、と。
「悔しい!」というより、もはや単純に感心してしまいますよね。

……で。
なにが言いたいのかというと、
昨日に引き続き「如実知見(にょじつちけん)」について、です。

「如実知見」、
つまり、あるがまま、ありのままに世界を見ること、
というのは、
上に並べた錯視のサンプル絵を見ても
決してだまされない脳を持つということ、と

イコール

……では、ぜったいに、ない!!!
と、私は思うのですよね。

だって……どうなんでしょう?
たとえば、お釈迦さまに、この3つの絵を見せたら、どうなりますかね?

お釈迦さまレベルの人は、こんなものには決して騙されない?

そうかなあ?

私は、お釈迦さまほどの人ですら、いきなりこれらの絵を見せられたら、
簡単に騙されてしまうと思う。
だって、錯視って、人間の生理的反射みたいなものでしょ。
いくらお釈迦さまだって、その反射が起こることは止められないと思いますよ。
人間だもの……。

でも、たぶん、お釈迦さまは、
「錯視」が自分の身において起こった、ということを
ものすご~~~くすんなりと受けいれると思う。

「あ、私、この絵に騙されたの。そうなの。ふうん。」……以上。
みたいな(笑)。

お釈迦さまと私たちとの間に違いがあるとしたら、
「ただ起きていること」に対する受容のレベルにあるのではないでしょうか。

瞬間ごとに立ち起こっては消えていくすべての物事を、
ただただ智慧のまなこに映して、
「ああ、そう。ふうん。」……以上。
みたいな風に、余計な力みなく、ただただいまを生きていくこと。

「決して騙されまい!!!」と言って鼻息荒く頑張っている人と、
「騙されたっていいじゃない。それが起きたのなら」と鼻歌混じりで生きている人と……
どちらがよりお釈迦さまに、
つまり「如実知見」を説いた人に近い存在ですかね?

まあ、「決して騙されまい!!!」と言って鼻息荒く頑張ることすら、
「ただ起きていること」と如実知見してしまえば、
そこにはなにも問題はないのですけれどね。

やっぱり、如実知見はすべての基本、
それさえできれば一切はととのう、ですね。

また、あらためて考えてみたいテーマだと思います。

 

よい一日をお過ごしください◎