おなかが本体、あたまは飾り

2016年2月9日

思考も、感情も、体感も、

 

ぜんぶぜんぶぜんぶ、

 

ごくごく勝手にやってきては、

 

ごくごく勝手に去っていくだけなんです。

 

つまり、どこにも実体はないんです。

 

そうなってくると、

 

思考と感情と体感の寄せ集め、

 

もしくはその組み合わせである

 

「自分(自我)」というものも、

 

当然、実体のないもの、

 

ということになりますよね?

 

この事実を、まずはしっかり

 

腑に落としてしまいましょう。

 

 

 

……といったようなことを、

 

つい先日の記事にも書きましたが、

 

でも、これって、あたまでは

 

「そうだろうな~」

 

と納得できても、なかなか、実感としては

 

掴みづらいところなのかもしれませんね。

 

 

 

ということで、今日は、実際に、これを

 

「腑に落とす」方法を書いてみたいと思います。

 

 

 

やり方としては超簡単。

 

文字通り、腑、というか、おなかを使うんです。

 

使う、というか、単純に意識するだけ。

 

具体的にどう意識するのか?

 

「自分の本体は、あたまではなく、

 

おなか(おへその下のあたり)にある!」

 

という風に、意識するんです。

 

 

 

ただ意識するだけでいいんです。

 

どうしてもむずかしく感じられる場合は、

 

呼吸と組み合わせてやってみると、

 

少し、掴みやすくなるかもしれません。

 

過去記事参照

 

うまいことおなかに意識を持っていけると、

 

そこを中心に、からだ中がぽかぽかしてくるのが

 

感じられるかと思います。

 

(この感覚は派手なものではないので、

 

最初は「これ!」というのがなくても大丈夫です。

 

「あたたかいような気もするけど……?」

 

ぐらいの感覚があれば、それでOKです。)

 

 

 

あとはもう、その状態を保ったままに、日常を送るだけ。

 

それだけです。

 

めーちゃめちゃ簡単です。単純です。シンプルです。

 

「やり方」というほどのことでもないです(笑)

 

 

 

うまくいかなくても、何度もやっているうちに、

 

次第に感覚が掴めるようになっていきます。

 

 

 

「自分の本体はおなかにある、あたまは飾り」

 

という風な意識をもったままに日常を送っていると、

 

思考も、感情も、体感も、

 

すべて、

 

まるで風のように、

 

色も残さず、形も残さず、匂いも残さず、

 

ただただ、「自分」を通過していくだけだ、

 

ということが、

 

理屈じゃなく、理解できるようになります。

 

 

 

そうなれば、あとは起こることが起きてくるだけ、ですね◎

 

 

 

いくら文章を読んで、あたまで理解したところで、

 

おなかの底から「ほんとう」を実感できなかったら

 

ざんねんなことではありますからね。

 

実際にやってみて、そして、

 

「うわ~! ホントだ!

 

“自分(自我)”なんか、どこにもなかった!」

 

ということを感じてみるのが、

 

結局は、いちばん手っ取り早かったりするんじゃないかな。

 

 

 

……となると、

 

“自分(自我)”なんか、どこにもなかった!

 

ということを「感じる」のは、

 

じゃあ、いったい、誰なんだ?

 

……ということになっちゃうのですが、

 

まあね、それも含めて、感じてみてください(笑)

 

そうとしか言えないところの話なので。

 

 

 

「感じる」は、「考える」より、しなやかです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しずつ、寒さもゆるんできましたね。

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎