人間=蚊柱説、もいいけれど。

2016年2月20日

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福岡:実は生物には固定した「輪郭」というものもないんです。皮膚の表面だって無限に解像度を上げていけば、分子が猛スピードで出たり入ったりしているのが見えるだけです。(以下略)

 

川上:うーん、要するに、その考えでは私たちの体って分子の「ムラ」に過ぎないわけですね。濃い部分。あるいは蚊柱みたいなもので、中にいる蚊(分子)はどんどん入れ替わっている……。

 

福岡:その通り。しかもその蚊柱の中に、さらにまた臓器、細胞、DNA……とそれぞれ蚊柱が立っている状態です。

 

(『六つの星星 川上未映子対談集』文藝春秋=刊 所収 「生物と文学のあいだ」福岡伸一さんとの対談 より抜粋)

 

 

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上は以前にもこのブログで引用した文章なのですが、

 

いや~、なかなか衝撃的ですよね……。

 

人間=蚊柱説……。

 

か、蚊柱って……!!!

 

まじか~~~!!!(ほげ~~~)

 

 

 

でも、こういう「科学的」なアプローチから、

 

「私」の不在性を明らかにするやり方って、

 

まあ、確かにめちゃめちゃ面白いし、

 

ほとんどの現代人は(私も含めて)

 

「科学教」の熱心な信者さんですからね、

 

「まじか~~~!!!(ほげ~~~)」

 

と、一瞬、ものすごく衝撃を受けたりするのですが……

 

結局、それは「一瞬」だったりするのですよね(苦笑)

 

 

 

いくら精緻な語りをもって、

 

生物には「輪郭」がない、

 

あるのは分子の入れ替わりだけ、

 

と言われたところで、

 

「いや、でも右手で左手を触れるじゃん?」

 

「皮膚、あるじゃん?」

 

「叩いたら、当然痛いじゃん?」

 

「私、いるじゃん?」

 

「確実に、いるじゃん?」

 

って、またすぐに「私」を中心としたストーリーを

 

生きちゃったりするわけで……。

 

 

 

それが悪いわけじゃないんです。

 

でも、どうでしょう。

 

その「私、いるじゃん?」っていう

 

「思考」や「感情」や「体感」、

 

それ自体、

 

もう、それそのもの、それ自体すら、

 

実は、

 

「猛スピードで出たり入ったりしている」だけ、

 

ただ、それだけ、

 

なのだとしたら……???

 

 

 

科学的(あたま的)なアプローチから、

 

認識のシフトが起こる人も、

 

もちろん、たくさんいるとは思います。

 

でも、それよりも、もっとダイレクトに、

 

「私」を構成している(かのように見える)

 

「思考」や「体感」や「感情」が、

 

いったいどこから湧き上がって、

 

いったいどこに消えていくのか、

 

そこに「私」はほんとうに存在しているのか、

 

それらをじっくりと見つめてしまった方が、

 

実は、手っ取り早いんじゃないかな。

 

 

 

「思考」や「体感」や「感情」は、

 

ほんとうに、「私」のものなのかな?

 

ほんとうは、すべて、「私」不在で、

 

ごくごく勝手にあらわれては、

 

ごくごく勝手に消えていく……

 

それを繰り返しているだけ、なのではないかな?

 

 

 

ここらでいっちょ、じっくりと観察してみませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

低気圧がやってきているようですね。

 

お出かけの方はお気をつけください。

 

 

 

よい一日を◎