「正しさ教」脱退のススメ

2016年2月26日

人っていうのは、ほんっっっっっとうに、

 

すべて、自分の見たいようにしか見ないのだよな~、と。

 

 

 

先日もそれを実感する出来事がありました。

 

ある年下の友人(ということにしておこう……)から、

 

泣きながら電話がかかってきたのです。

 

簡単にまとめると、

 

「会社の上司二人とソリが合わない」

 

といったようなお話だったのですが、

 

まあ、結構厳しいことばでの叱責が、

 

社内で日常的に繰り返されているようなんですね。

 

 

 

「あなたは本当に人の話を聞けない人間だよね」

 

「友達少ないでしょう? そうに決まってるよね」

 

「クールっていうか、なにに対しても情熱が持てないタイプなんじゃない?」

 

とかなんとか……。

 

 

 

う~~~~~~~~~~ん……。

 

部下の仕事上のミスを注意するのは上司の仕事だとしても、

 

そこから進んで、その人の人格にまで口出しする権利なんか、

 

ほんとうは誰も持ってないと思うのですが……。

 

っていうのは、まあ、私の個人的な感懐としておいておいて。

 

 

 

いや、私、少なからず驚いたんです。

 

だって、その上司二人の彼女評と、

 

私が彼女に対して持っている印象は、

 

ほとんど真っ向から対立しているような感じだったから。

 

「別人のことを話しているのでは!?」というぐらい、

 

その上司の方々の語る彼女像と、

 

私の描く彼女像が、もう、まるで違い過ぎて。

 

 

 

私と彼女は相当長い付き合いですが、

 

彼女という人間は、

 

もう、とにかく、め~~~ちゃめちゃ聞き上手で、

 

たくさんの人に愛されていて、友達も当然多くて、

 

情熱的で、クールの「く」の字も見当たらない、

 

ものすごくあたたかくてやさしい女の子、なんです。

 

その印象が崩れたことは、一度だってありません。

 

 

 

彼女の上司二人のおっしゃっていることと、

 

はっきり言って、真逆も真逆ですよね……。

 

 

 

いや、だからと言って、その上司たちに見る目がない、

 

と言いたいわけではないんです。

 

(まあ、個人的には文句のひとつでも言ってやりたいけど。笑)

 

その方々の目から見れば、彼女は間違いなくそういう人間なのでしょう。

 

というか、「彼女をそういう人間として見たい」という欲望が、

 

その方々の中に間違いなくある、というのが正確ですかね。

 

もちろん、それは私自身にもそのままあてはまります。

 

もっと言えば、彼女自身の中にも、

 

「自分をこういう人間として見たい」という欲望はあるし、

 

それを通してしか、人と関われない、っていうのはあるでしょう。

 

 

 

なにが言いたいのか、というと、

 

冒頭のことばに戻りますけれど、

 

人っていうのは、ほんっっっっっとうに、

 

すべて、自分の見たいようにしか見ないのだよな~、

 

っていうことです。

 

 

 

同じ人物を見ても、その印象はばらばらです。

 

人だけじゃない。

 

物事すべてに対して、みんながみんな、ばらばらの印象を持っています。

 

「自分」に対してもそうです。

 

みんながみんな、「自分の見たいように見ている」んです。

 

 

 

「誰か」や「何か」は、人の数だけある、ということです。

 

ひるがえって、「世界」も、人の数だけある。

 

 

 

そうなってくると、そこに「正しさ」なんか、

 

そもそも存在できないということに気づいてきませんか?

 

 

 

世界がひとつであるのなら、

 

客観的な「正しさ」というものが成立して然るべきですが、

 

実際、決してそうはなっていないのだから。

 

「絶対的な正しさ」なんて単なるフィクション、

 

決して完成しないおとぎ話にすぎません。

 

 

 

なのに、あたかも「正しさ」という塔が

 

外側に確固たるものとして存在しているかのように思い込んで、

 

「私が正しい」「あんたが間違っている」

 

「間違っているのだから私の考えに合わせるべき」

 

「いや、そんなわけない、私の方が正しくて、あんたが間違っている」

 

とかなんとか、あちこちでやりあって、傷つけ合っているのが

 

私たち人間の姿なのだろうなあ……と。

 

 

 

いや、ほんと、「正しさ教」からは、一刻も早く抜け出した方がいいです。

 

そうでないと、いつまで経ってもこころが休まらないです。

 

 

 

脱退方法はただひとつ。

 

人間の目から見れば、世界は決してひとつじゃない、

 

ということを、こころの底から思い知ること。

 

それだけです。

 

そうしたら、自分がしがみついていた「正しさ」の塔は、

 

大元から崩れ去ってしまいます。

 

 

 

まあ、一回崩れても、すぐにまた再建されるんですけれどね(苦笑)

 

でも、そうなっても、

 

何度でも「世界はひとつじゃない」に立ち返ればいいだけですね。

 

 

 

今日はひとりの人間としての立場から記事を書いてみました。

 

仏目線(というかなんというか……)から同じことを書いたら、

 

きっとまったく違った表現になるのでしょうけれど、

 

(でも結論はまったく一緒になるのですが。)

 

それはまた今度、機会があれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎