「そうなっちゃった」から、「そうなっちゃった」

2016年2月27日

毎日早起きをしてブログを書いたり、

 

イベントを開いたり、

 

お坊さんにインタビューをしてそれを公開してみたり……

 

まあ、地味なりにいろいろやっているし、

 

これから先も、いろんなたくらみを

 

じゃんじゃん実行にうつしていこうとしている私ですが、

 

その行動の大元の理由を問われると、

 

いつも一瞬ことばに詰まってしまうんです。

 

 

 

なぜなら、そこに確かな「理由」なんかないから。

 

 

 

正直に、誠実に答えようとすればするほど、

 

「そうなっているから、そうしているだけなんです」と、

 

相手を煙に巻くようなことしか言えなくなってしまって、

 

毎回「いやあ、なんか、ごめんなさいね……」という気分になります。

 

 

 

いや、すべて、熱い思いとともにやってはいるんですよ。

 

やりたいか、やりたくないか、と問われたら迷わず前者をとるし、

 

少なからざる部分で、

 

これは、きっと、私という人間にしかできない仕事なんだろうな、

 

という自負をもってやらせてもらっていることは事実なのですが……

 

が……!

 

いかんせん、すべてにおいて、

 

明確にことばにできるような「理由」がない。(がーん)

 

 

 

「理由なんて、この胸の熱い思いだけで十分だ!!!」

 

とカッコよく(?)言い切ることもできるんですけれど、

 

いやあ……ほんとうにねえ……

 

まあ、なんと言いますか、最近、とくに、

 

「結局、ことばにできる理由なんて、

 

ぜんぶ後付けに過ぎないんだよなあ……」

 

という思いを強めています。

 

 

 

「そうなっちゃった」から、「そうなっちゃった」

 

 

 

……なんて、やっぱりどこか人を小馬鹿にしているような感じですけれど、

 

でも、実感としては、この「理由」が、

 

結局は、一番正直で、誠実なものになるんじゃないかなあ、と。

 

 

 

自分がいままで、なにをどう思って、どのような人生を歩んできたのか。

 

そして、これから、なにをどう思って、どのような人生を歩んでいくのか。

 

はっきり言って、そこはノーアイディアです。

 

ほんとうに、さっぱり、「わからない」んです。

 

 

 

夢は、もちろん、あります。

 

「こうなったらいいな」という希望もある。

 

でも、その夢や希望の実現に向けて動いていく、

 

というよりは、

 

「そうなっちゃった」から、「そうなっちゃった」の中に、

 

夢や、希望が、たまたまぜんぶ含まれていた、

 

というのが、

 

結局は、一番、正確なところなんじゃないかな、と。

 

 

 

毎瞬、毎瞬、「私」と名付けられた舞台に、

 

ごくごく勝手に「思考」や「感情」や「体感」が湧いてきて、

 

結果としてなんらかの行動が生まれ続けているだけ。

 

ことばの上での理由なんて、

 

「そうなっちゃった」に無理やりくっつけられた、

 

色とりどりの物語に過ぎないのだろうなあ、と。

 

 

 

物語が悪いわけじゃないんです。

 

でも、やっぱり、物語は物語に過ぎなくて、

 

それに必要以上に固執することはないなあ、と思います。

 

ガチガチに固められた「理由」の檻の中で

 

こころとからだを縮こまらせているぐらいなら、

 

ただただ、いまこの瞬間にも起こり続けている

 

「そうなっちゃった」から、「そうなっちゃった」の海の中に、

 

自らをダイブさせてしまった方が、

 

よっぽどlifeをenjoyできるような気がしませんか?

 

 

 

「そうなっちゃった」から、「そうなっちゃった」

 

……以上!

 

そんな感じで、ごくごく身軽に生きていけたらいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちよく晴れた東京の朝です。

 

よい一日をお過ごしください◎