sense of wonder

2016年3月1日

「毎日毎日、よく書き続けられますねえ。しかも、このテーマで」

 

というようなことを言われたとき(結構な頻度で言われるんですよ)、

 

私は、毎回、こう答えます。

 

「このテーマだからこそ、毎日毎日書き続けられるんですよ」

 

 

 

上記はまったく偽らざる気持ちで。

 

ほんとうに、このテーマじゃなかったら、

 

このブログなんか、あっという間に三日坊主になっていたと思うんです。

 

 

 

このテーマって、どのテーマよ!? と聞かれたら……

 

「“世界”の仕組み」っていうかね……

 

まあ、そんなようなところなんですけれど。

 

 

 

以前は、自分の中のこの情熱っていうのは、

 

「決して書き表すことなんかできないだろう」

 

っていうところから出ているんだと思っていたんです。

 

 

 

「それ」っていうのは、

 

ほんとうにことばを超えたところのものなので、

 

そもそも文章で表現しようとすること自体、

 

ものすごく矛盾した行為、というか。

 

それでも、まあ、ぼくにはピアノがないし、

 

君に聴かせる腕もないので……(by 西田敏行)

 

つまり、他に手段を知らないので、

 

日々ひたすらにPCに向かって、

 

ああでもない、こうでもない、と、

 

懸命にことばを探っている感じでして。

 

 

 

そのチャレンジ自体に、なんというのかな、まあ、言ってみれば

 

「表現者としての情熱」みたいなものがかきたてられて、

 

それで、結果として、毎日文章を書いてアップする、

 

という行為が成り立っているのかなあ……

 

と、そんな風に理解していたのですが……

 

 

 

が……!

 

 

 

違った。

 

 

 

たぶんそれもあるけれど、それだけじゃなかった。

 

 

 

というか、それ以前のものがあった。

 

 

 

「これを表現したい!」

 

という具体的な情熱より先に、

 

“ここ”には、もう、どうしようもなく、

 

「なんじゃこりゃ! さっぱりわからない!」

 

という気持ちがあって。

 

 

 

なにが「わからない」って、

 

もちろん、「“世界”の成り立ち」が。

 

 

 

でも、「わからない」からフラストレーションがたまるのか、

 

と言ったらそうではなくて、

 

むしろ、「わからない」からこそ大感動!

 

というかね。

 

 

 

「わからない」の大肯定。

 

そこから出てくる大感動。

 

 

 

もう、その「大感動」ひとつで、

 

ほとんど理由なしに動いちゃっている、というか、

 

動かされちゃっているような気がします。

 

 

 

お釈迦さまも、さとりをひらかれた直後、

 

“世界”を眺め渡して、

 

「奇なるかな奇なるかな」

 

とおっしゃったと伝わっていますが、

 

ほんとうに、

 

もう、ほんとうのほんとうのほんとうに、

 

“ここ”は不思議なところです。

 

 

 

「“世界”の仕組み、わかっちゃった!」なんて、

 

そんなこと、決して言えない。

 

言えるはずがない。

 

 

 

もう、ほんとうに、

 

ほんとうのほんとうのほんとうに、

 

ただただ不思議なんです。

 

「私」をも含んだ“世界”が、このようにしてあることが。

 

 

 

たまに、ほんとうにふとしたとき……

 

たとえば書類をコピーしているとき、

 

地面を嗅ぎまわる散歩中の犬を見たとき、

 

スタバで熱いコーヒーの入ったカップを受け取ったとき、

 

読み終えた本をパタン、と閉じたとき、

 

そんなときに、ほんとうに、なんの理由もなく、

 

「すべてがこのようにしてあること」

 

の不思議の念に打たれて、

 

涙が出てくることがあるんです。

 

いや、ちっとも大げさじゃなくて、

 

ほんとうに涙が出るんですよ。

 

びっくりして。

 

 

 

果てしなさ。

 

畏れ多さ。

 

それらを包み込む、圧倒的な安らかさ。

 

 

 

どうしてこんなことが可能なのか、

 

私にはさっぱりわからないのです。

 

 

 

そうそう。

 

ひとつ大事なことを書くと、

 

その圧倒的な「わからない」に襲われているとき、

 

“世界”は決して「対象物」ではなくなっているんです。

 

「私」は“世界”の中に取り込まれ、

 

それと同時に、

 

“世界”が「私」の中に取り込まれて……。

 

「私」と“世界”が、切り離されたものでなくなっている。

 

一番の「わからない」ポイントは、

 

つまりは一番の「大感動」ポイントは、

 

そこにあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

……って、読み返してみたら、いったいなにを言いたいのか

 

さっぱり「わからない」文章になっていますが、

 

まあ、このまま載せてしまいます(笑)

 

 

 

 

 

「わからない」が、これほどまでに、

 

あたたかくて、なつかしくて、ひろがっていくものだったなんて、

 

ほんとうのほんとうのほんとうに、

 

まったくもって、想像もつかないことだったなあ。

 

 

 

南無南無……

 

 

 

合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたたかくなったり、寒くなったり。

 

お風邪など召されませんよう、どうかくれぐれもご自愛くださいね。

 

 

 

よい一日を◎