「探求」は悪いこと?

2016年3月9日

「探求はいけないことなのでしょうか?」

 

といったご質問を、時折いただくことがあるので、

 

今日はそれについて書いてみようと思います。

 

 

 

「探求」っていうのは、まあ、簡単にまとめてしまえば、

 

「ここではないどこか」を追い求める姿勢、全般のこと、ですよね?

 

 

 

「探求は良くない」という風に受け取れるような

 

メッセージをお伝えになる方々っていうのは、おそらく、

 

その「ここではないどこか」には、

 

あなたの求めるものは決してありませんよ~!

 

っていうところから、

 

注意を促していらっしゃるのだと思うのですね。

 

 

 

それは、まあ、間違いなくそうなんですよ。

 

確かに、「ここではないどこか」に、答えはない。

 

答え(……なんてものもないんだけど。ほんとうはね。)っていうのは

 

絶対的に、“いまここ”にしかないのだから。

 

 

 

……とはいえ、です。

 

 

 

実際に、いま、探究が起こっちゃっているのなら、

 

どんなに「止めよう」と思ったところで、

 

それを止めることはできません。

 

その人に探求のエネルギーが湧き上がるか、湧き上がらないかは、

 

ほんとうに「縁次第」なので、

 

個人がそれをどうこうできるようなものではないんですね……。

 

 

 

え~!!!

 

じゃあどうすればいいのさ~!?

 

……って、暴れまわりたくなりますよね。

 

 

 

でも、大丈夫。

 

安心してください。

 

ひとつ、抜け道があるんです。

 

 

 

それは、「探求のエネルギー」が、

 

いったいどこで湧き上がっているのかを、

 

ちゃんと見つめること。

 

丁寧に、細かく見ていくんです。

 

目の前にあるものから逃げないで、

 

深呼吸とともに、ゆっくりと……。

 

 

 

そうやってしっかり観察していくと、ある瞬間、

 

「探求のエネルギー」さえひっくるめたすべては、

 

いまここで、瞬間ごとに、

 

ただただ湧き上がっては消えていくだけ……

 

ということが、おなかの底から、ふわ~~~っと理解されるんです。

 

 

 

そうなればしめたもの。

 

「探求のエネルギー?

 

あってもなくてもどちらでも大丈夫。

 

な~んにも問題ないよ~!」

 

と、おおらかに笑って言えるようになります。

 

 

 

いまここにあるすべてと仲直りして

 

生きていくことだってできるんですよ。

 

この事実は、希望そのもの、ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日からまた気温が下がるみたいですね。

 

(5時現在、東京はまだあたたかいですが……。)

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼岸寺で連載中の「ひらけ! さとり!」第三弾、

 

いよいよ本日公開です!

 

今回は、京都・大原三千院のご門主であられる

 

堀澤祖門大僧正にお話をおうかがいいたしました。

 

「人間誰しも泥仏」???

 

あったかくて、なつかしくて、ひろがっていく……

 

そんな感覚に自然に包まれるようなお話満載です。

 

ぜひ、最後までじっくりお楽しみくださいませ!

 

本日より4日連続更新です。

 

 

 

堀澤祖門さんインタビュー/「泥仏」としての自分を生きること(1/4)

 

http://www.higan.net/satori/2016/03/horisawa1.html