波と海と自由意志

2016年3月19日

このブログでも過去幾度も用いていますが、

 

「波」と「海」のたとえ話っていうのは、

 

やっぱり、ほんとうによくできているなあ……

 

って、あらためて感動しているところです。

 

 

 

私たち個人は、大海に浮かぶひとつひとつの小波のようなもの。

 

みんな、それぞれの波こそを唯一の「自分」だと思い込んで、

 

大きさやかたちなどを競って生きているけれど、

 

でもね。

 

ほんとうは、みんな、大海そのものなんですよ~!

 

果てしなく広大なご縁のネットワークとしての

 

“ほんとうのいのち”を「そのまま」生きているんですよ~!

 

だから安心していていいんですよ~!

 

っていうお話です。

 

 

 

これ、昔から伝わるたとえ話なんですけれど、

 

とにかくイメージしやすいっていうのが、

 

まずひとつ、素晴らしいところですよね。

 

 

 

もうひとつ、このたとえを用いれば、

 

「自由意志」についても、ばっちり説明できる!

 

っていうところが素晴らしいな、と思うのです。

 

 

 

大海に浮かぶひとつひとつの波は、

 

「自分の意志」で、

 

みずからの進むべき方向や、

 

大きさやかたちを決めているでしょうか?

 

 

 

……違いますよね。

 

それらはすべて、大海のダイナミズムの中で

 

“おのずから”決定されていますよね。

 

そこには、ひとつひとつの波の意志なんか、

 

ほんとうはまったく反映されていないんですね。

 

 

 

すべて、「私」不在で、ただ起きているだけで。

 

「私」が◎◎をしたから、思ったから、感じたから、

 

結果として、△△という事態が発生した!!!

 

……っていうのは、ほんとうのところ、

 

壮大なフィクションでしかないんですね。

 

 

 

みんな、ふつうにやっていることですけれど。

 

それがフィクションだなんて、

 

一ミリも思っていない方が大半ですけれど。

 

でも、フィクションなんですね~。

 

 

 

……なんてことを言うと、

 

「そんなのヤダ!!!」

 

っていう叫び声が聞こえてきそうですね(笑)

 

 

 

そりゃそうです。

 

「自分の力で人生を作っている!」っていうお話って、

 

自我にとっては、ものすごく魅力的ですからね。

 

まあ……残念ながら、フィクションなんですけれどね……。

 

 

 

でも、大丈夫。

 

 

 

もし、自分の“ほんとうのいのち”は、

 

波ではなく、大海の方にこそある!

 

ということを、

 

理屈を超えたところから、真実、理解できたら、

 

ちっぽけな自我の抵抗感なんか、あっという間に、

 

巨大なくつろぎの中にとけていきますので。

 

安心してください。

 

 

 

「自由意思」という幻想が消えると、

 

ほんとうの“自由”が姿をあらわします。

 

 

 

個人というちっぽけな枠を遥かに超えたところにある、

 

有に満ちた無としての“自由”。

 

 

 

“自由”を、生きていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨と、土のにおいがします。

 

春ですね。

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎