すでに救われている、ということ。

2016年3月22日

「すでに、完全に救われていた……!」

 

ということに気づいた瞬間をもって、

 

ほんとうの救いと呼ぶのではないかなあ、と思うのです。

 

 

 

こんなお話があります。

 

 

 

阿弥陀如来は、仏になられる前、法蔵という名前の菩薩でした。

 

法蔵菩薩は、あるとき、このような誓いを立てられました。

 

「すべての人を救いきるまで、自分は決して仏になるまい」。

 

やがて法蔵菩薩は厳しい修行をおえて、阿弥陀如来になられました。

 

 

 

……ってことは、ですよ。

 

法蔵菩薩の誓いは、すでに、間違いなく成就された、

 

っていうことですよね?

 

現に、すでに阿弥陀如来になられているわけですし。

 

つまり、

 

私たちは、すでに、完全に、完璧に、救われている!

 

っていうことですよね?

 

 

 

これってすごいことですよ。

 

 

 

これから救われる、のではなく、

 

もう“すでに”救われている。

 

 

 

安心感が、ぜんぜん違うと思うのですよね。

 

 

 

私たちは、すでに、完全に、完璧に、救われている――

 

すでに――

 

 

 

これほど大きな愛はないんじゃないでしょうか。

 

 

 

でも、すでにその愛の中にあることを実感するのは、

 

なかなか難しいことなのかもしれませんね。

 

ちっぽけな個人に比べて、仏の愛は、

 

あまりにも大きすぎて、捉えどころがないから。

 

 

 

それでも、愛は、いつだってここにあって、

 

私たちがその存在に気づいていても気づいていなくても、

 

まったく変わらずに、すべてを包みこんでくれているんです。

 

 

 

個人というまぼろしの枠が取り払われた瞬間っていうのは、

 

そのまま、

 

巨大な“すでに”に取り込まれる瞬間です。

 

 

 

“すでに”の与えてくれる安心感の中にあって、

 

私たちは、まぼろしのこの世界を、

 

遊ぶように、踊るように、生きていけるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日からお仕事の方も多いのかな?

 

 

 

よい一日を◎