痛みの中で考えたこと

2016年10月31日

おはようございます。小出遥子です。

私、昨日の夜中(日付は変わっていたので今日か)に、
とんでもない腹痛に襲われまして。
まさしく「激痛」というやつでした。
下腹部が、もう、全方位から痛いんです。

身体を横にしても、斜めにしても、うつぶせになってもだめ。
痛いもんは痛い。ものすごく痛い。
「ううう……」と地の底からのうめき声をあげつつ、
布団の中で七転八倒を繰り返しておりました……。

いまはだいぶ痛みが和らいだので、
こうしてブログを書いているわけですが……。

いやー、この一ヶ月、
仕事関係で心身に相当負担かけていたもんなー、
と反省しました。
直近の一ヶ月の過ごし方が、生理の状態に如実にあらわれますね。
反省、反省……。

しかし、痛みというものは、
いったいぜんたい、
どこからやってきて、どこへ去っていくのでしょうね。

そしてもうひとつ。
痛みに限らず、
どこからともなくやってきて、どこへともなく去っていく
「目の前のすべて」、つまりは「人生」を、
ただ見つめている“これ”の正体とは……?

旧ブログ(koideyoko.com)でもよく引用していましたが、
大尊敬する大峯顕さんと故・池田晶子さんの対談本に、こんな一節があるんです。

大峯:小林秀雄さんが昔書いていたけど、世の中のものは全部移り変わると、人生は無常だと誰でも言う、けれど人生はいったい何に対して移り変わるのかと。

池田:「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう」

大峯:人生がそれに対して移り変わるところのもの、移り変わらないものがどこかにないと、移るということも言えないのではないか。これは現代人が一番忘れているものだと思います。

(『君自身に還れ 知と信を巡る対話』 大峯顕・池田晶子=著 本願寺出版社=刊 より抜粋)

「人生がそれに対して移り変わるところのもの」
「移り変わらないもの」

この正体を明確に知ることはできなくても、
「移り変わらないもの」が“ここ”にあることを知ることは、
「人生」に対する見方を、がらっと変えてしまいますよね。

「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう」

……痛みがぶり返してきたのでこのあたりで!(冷や汗)

 

やるべきことは山積みだけど、今日ばかりは、休み休みやります……。
みなさんも、ご自愛くださいね。

よい一日をお過ごしください◎