気づいているものと気づかれているもの

2016年4月5日

「私」はいない。

 

 

 

……と言われても、どう考えても「私」はいるんですけど!?

 

「私」という感覚が消えたことなんか一度もないし、

 

「いない」だなんて、どうしたって信じられないんですけど!?

 

 

 

……という声が聞こえてきたので(笑)

 

今日は、ひとつ、実験をしてみましょうか。

 

 

 

まずは目を閉じて、ゆっくり深呼吸をしてください。

 

 

 

あなたの言う「私」(自分)という感覚は、具体的に言うと、

 

からだのどのあたりで、どんな風に感じられますか?

 

 

 

眉間の奥の緊張した感じ?

 

みぞおちのあたりの重苦しい感じ?

 

肩から背中にかけてのこころもとない感じ?

 

 

 

あせらずに、丁寧に、その感覚に、

 

ことばをあてがっていってください。

 

 

 

できましたか?

 

丁寧に、やってみてくださいね。

 

 

 

もう一回聞きます。

 

あなたの言う「私」は、

 

いったいどこに、どんな感覚をもって存在していますか?

 

 

 

OKですか?

 

 

 

さて、ここで質問です。

 

その「私」という感覚に気づいている“あなた”は、

 

じゃあ、いったいなにものなのでしょう?

 

 

 

………………

 

 

 

どうですか?

 

「あれっ???」

 

って思ったりしませんか?

 

 

 

そうなんです。

 

私が私だと思い込んでいる「私」は、

 

すべてに気づいている主体なのではなく、

 

気づかれている客体に過ぎないんです。

 

 

 

すべてにおいてそうです。

 

 

 

「私」が、なにかを見て、聞いて、嗅いで、

 

味わって、触れて、感じて、考えて……

 

ということをやっているわけじゃない。

 

 

 

見ること、聞くこと、嗅ぐこと、

 

味わうこと、触れること、

 

感じること、考えること……

 

それらは、すべて、「私」不在のままに、

 

おのずから起こっては、瞬間的に消えていって。

 

「私がそれをしました」というのは、

 

根拠のない後付けの思考に過ぎなくて。

 

 

 

そして、その「私」という後付けの思考すら、

 

よくよく観察してみると、

 

おのずから起こっては、瞬間的に消えてくもので。

 

 

 

「私」すらひっくるめて、すべては、

 

おのずから起こっては、瞬間的に消えてく。

 

それら、移り変わるすべてに、

 

ただただ気づいている“わたし”がいる。

 

 

 

気づいている“わたし”こそが、

 

唯一の気づきの主体で、

 

私が私だと思い込んでいる「私」というのは、

 

あくまで、客体のうちのひとつに過ぎないんです。

 

 

 

これ、驚きの事実だと思いませんか?

 

 

 

……というところで、今日のブログは終わりにしようかな。

 

 

 

実は、この先に、

 

ほんとうのところ、気づきには、主体も客体もない!

 

そのふたつは、決して分けられるものではない!

 

(色即是空 空即是色)

 

……というお話があるのですが、

 

続けて書くとごちゃごちゃしてしまいそうなので、

 

これについてはまた機会をあらためて、じっくりと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日を◎