色即是空 空即是色

2016年4月6日

昨日の記事で、

 

移り変わるすべてにただただ気づいている

 

“わたし”こそが、唯一の気づきの主体

 

といったようなことを書きましたが、

 

今日はその続きです。

 

 

 

この、唯一の気づきの主体としての“わたし”のことを、

 

仏教では仏と呼んでいて、

 

(もっと詳しく言えば、浄土系では南無阿弥陀仏、

 

禅系では仏心、密教では大日如来と呼ばれています。)

 

仏教以外のところでは、

 

神とか、宇宙とか、あるいは愛とか……

 

そのように呼んでいるのだと、私は、感じています。

 

 

 

表現は違うけれど、みな同じもの

 

(「もの」じゃないけれど)を指している。

 

 

 

さて、ここからが重要なお話です。

 

昨日も最後の方にちらっと書きましたけれど、

 

気づきの主体とか客体っていうのは、

 

あくまで便宜上のたとえと言いますか、

 

ある程度のところまでしか使えない表現なんですね。

 

 

 

色即是空 空即是色

 

 

 

“色”っていうのは、気づきの客体のことです。

 

移り変わるすべて。

 

それに対して、

 

“空”っていうのは、気づきの主体のこと。

 

決して移り変わることのない唯一のもの。

 

このふたつが“即”で結ばれている。

 

つまり、色はそのまま空だし、

 

空はそのまま色だっていうことです。

 

色も空も、本来、決して分けられるものではない。

 

 

 

この事実を一番観察しやすいのが、

 

「私」と“わたし”の関係だと思います。

 

 

 

「私」という現象(思考・感情・感覚)すらひっくるめて

 

移り変わるすべてに気づいている、

 

唯一の主体としての“わたし”。

 

 

 

「私」と“わたし”の関係を、

 

よくよく見つめてみてください。

 

 

 

「私」に気づいている“わたし”から

 

決して離れないようにしてみてください。

 

 

 

気づいているもの(=空)と、

 

気づかれているもの(=色)は、

 

ほんとうのところ、決して分けられるものではない

 

ということに気づけますか?

 

空と色は“ふたつではない”ことに気づけますか?

 

 

 

色即是空 空即是色

 

空と色は絶対的なセットで、

 

決して切り離せるものではないんです。

 

 

 

「空の世界」と「色の世界」という区切りなんか、

 

実際、どこにもありません。

 

ふたつのことばであらわされる「世界」は、

 

まったく同じものとして、

 

同じところに、同時に存在しているんです。

 

 

 

いまここが、そのまま空であり、色である。

 

 

 

空としての“わたし”を深く知れば知るほど、

 

色としての「私」の生が輝き、愛おしさを増す。

 

 

 

これ以上に不思議でうつくしい事態を、

 

私はほかに知りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春霞が広がる東京の朝です。

 

みなさま、どうか良い一日を◎