ネガティブな感情と、平和・平安

2016年4月9日

怒りとか、悲しみとか、焦りとか、後悔とか、

 

羨望とか、嫉妬とか、自己卑下とか……

 

そういう、一般に言われるネガティブな感情が

 

どうしようもなく湧き上がってきたときこそ、

 

真の平和、平安に気づくチャンスだと思うのです。

 

 

 

ネガティブな感情がぐわ~って湧き起っているときって、

 

「ああ、もう、早くこの状況をどうにかしたい!」

 

って思っちゃいますよね。

 

「状況が変われば、私の気持ちも落ちつくのに!」

 

って。

 

まあ、それは人間としては当然の反応です。

 

 

 

でも、

 

「変えたい!」「どうにかしたい!」という

 

私の気持ちとまったく同じ場所に、

 

すでに完全にその状況を受けいれている

 

“わたし”の存在を感じることって、ないですか?

 

 

 

その“わたし”は、表面上の私が

 

どんなにぐちゃぐちゃに乱れて暴れていても、

 

決して巻き込まれることなく、

 

ひたすらに静かに、ただただ穏やかに、

 

目の前の状況や、

 

「受けいれられない!」と嘆く気持ちすら、

 

まるごとひっくるめて、

 

完全に、完璧に、受けいれてしまっているんです。

 

 

 

平和や平安っていうのは、

 

個としての「私」が感じるものではなく、

 

すべてとしての“わたし”の特性として

 

すでに備わっているものなんですね。

 

 

 

もっとはっきり言ってしまえば、

 

個を超えたところにある

 

すべてとしての“わたし”が、

 

そのまま、完全、完璧な受容であり、

 

つまりは、平和であり、平安なんです。

 

 

 

すべてとしての“わたし”は、

 

個としての「私」が、どんな感情を味わっているときでも、

 

常に、同時にそこにいます。

 

 

 

だけど、うれしい! とか、たのしい! とかいうときって、

 

人間やっぱり、その感情に夢中になってしまうから、

 

完全、完璧な受容であり、平和、平安そのものとして

 

まったく同時にそこにある“わたし”の存在に気づくことは

 

まあ、なかなか難しかったりするんですね。

 

 

 

なので、やっぱり、悲しい! とか、悔しい! とか、

 

そっちの方向を持った感情に襲われているときの方が、

 

“わたし”との再会を果たしやすい、

 

っていうのはあるんじゃないかなあ、と。

 

私自身の経験を振り返って、そう思うんです。

 

 

 

まあ、もちろん嫌ですけれどね(笑)

 

できるものならそういう感情は味わいたくないよ~

 

と、私だって思いますけれど。

 

でも、すべて、縁によって

 

どうしようもなく起きてくるものなので。

 

起きちゃったら起きちゃったで、

 

「よしきた!」「OK!」って、

 

まあ、そんなに気合を入れなくていいですけれど(笑)

 

それが、平和・平安のほんとうの意味を知る

 

素晴らしい好機だっていうのは、間違いのないことなので。

 

大丈夫ですよ。

 

 

 

ほんとうに、なにが起きても、大丈夫なんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎