「私」は“わたし”を見つけられない

2016年4月10日

気づきの唯一の主体としての“わたし”と

 

どうしても出会いたいんです!!

 

どうやったら出会えますか!?

 

 

 

……という質問が出てくるのももっともなのですが、

 

でも、何度も言っているように、

 

この「私」が“わたし”を見つけることはできないんですね。

 

 

 

だって、この「私」は、なにかを見つける主体ではなくて、

 

“わたし”に気づかれている客体でしかないから。

 

 

 

先日も書きましたけれど、

 

目は、目自体を見ることができないし、

 

鼻は、鼻自体の匂いを嗅ぐことができないし、

 

舌は、舌自体の味を感じることはできない。

 

 

 

それと同様に、

 

「私」は、“わたし”の姿を見つけ出すことはできないんです。

 

 

 

じゃあどうすればいいの!?

 

 

 

……どうしようもないんです。

 

 

 

いや、煙に巻いているわけじゃなくて、

 

ほんとうに、どうすることもできないんです。

 

 

 

でも、その「どうすることもできない」の先に、

 

ちゃんと道は開けている。

 

 

 

この「私」が、“わたし”を見つけようとすることを

 

完全にあきらめて、ただただ、いまにくつろいだ瞬間、

 

ずっと探し求めていたものが、

 

すでにここにあったことに気づくでしょう。

 

 

 

ほんとうに、なにもしなくていいんです。

 

なにもしなくても、それはいつ何時でも、

 

「私」とともに生きている。

 

 

 

「私」は“わたし”に生かされている。

 

いつだって、完全に、完璧に。

 

 

 

「私」と“わたし”が離れたことはない。

 

安心して、そのまま生きていていいんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい日曜日をお過ごしください。