ゆるさなくても、ゆるされている

2016年4月11日

たとえば、いま、あなたが、

 

誰かを、あるいは自分を、

 

もしくはなんらかの出来事を、

 

どうしたってゆるすことができなくて、

 

それによって、大変な苦しみを感じているとします。

 

 

 

でも、その、

 

「誰か」や「自分」や「なんらかの出来事」は、

 

すでに、完全にゆるされて存在しているし、

 

そして、

 

それらをゆるせないと自分が感じていること

 

それ自体だって、

 

すでに、完全にゆるされて存在しているんです。

 

 

 

ゆるされているから、いまここにあるんです。

 

 

 

人間である限り、

 

ネガティブな感情が湧き上がってくることを

 

完全に止めてしまうことはできません。

 

だって私たち、縁の中に生きているのだから。

 

 

 

憎しみだって、怒りだって、悲しみだって、

 

ぜんぶ、縁によって、どうしようもなく湧き上がってくる。

 

それを個人の力で止めることはできないし、

 

止める必要もまったくありません。

 

それらはそれらとして「あっていい」んです。

 

当然、それらを感じる自分も「あっていい」んです。

 

 

 

というか、個人が「あっていい」と思う以前に、

 

それらはすべて「ある」ことをゆるされているんです。

 

 

 

「ある」ということは、そのまま、

 

すでに、完全に、完璧に、ゆるされている、ということ。

 

 

 

「ゆるす」のは、きっと、人間の仕事じゃない。

 

人間にできるのは、

 

すでにすべてはゆるされてあることを、

 

ただただ深く感じるだけ。

 

絶対的なゆるしの中で、ただただ生きていくだけ。

 

 

 

それしかできないけれど、

 

それだけで良いのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日を◎