セットということ。

2016年4月28日

「ほんとうのこと」っていうのは、

 

自分と離れたどこか遠くに

 

独立して存在しているのではなくて、

 

いまここの、まさにこの自分が生きる世界と

 

まったく切り離せないものとして

 

いつだって静かに佇んでいるのです。

 

 

 

最近、あらためて、般若心経の中の

 

「色即是空」「空即是色」

 

というテーマについて考えています。

 

 

 

目に見えない真実としての「空」と、

 

目に見える現象界のすべてとしての「色」。

 

このふたつは表裏一体というか、

 

正確に言えば、そこには表も裏もなく、

 

ただただ決して切り離されない、

 

ひとつでもなく、ふたつでもないものとして、

 

いつだって、いまここにあるんですね。

 

 

 

この“「切り離せない」ものとしてある”

 

っていうところが、

 

なにげに見落とされがちだけれど、

 

実はものすごく大事なところなんですよね。

 

 

 

「俺は真理を掴むんだ!」とか、

 

「ほんとうのことを知りたいんです!」とかね、

 

そういう風に力んじゃう人にありがちなのは、

 

一足飛びに「空」の方に行こうとしてしまう……

 

っていうことで。

 

 

 

どんなに、「空」と「色」はセットだよ~!

 

と聞かされても、

 

どうしても現象界の方を低く見てしまうというか、

 

「私が求めているものはこの中にはない!」

 

と、そちらを思いっきり否定して、

 

まだ見ぬ遥か遠くのワンダーランドを求めて、

 

果てのない旅を続けてしまうんですね。

 

もちろん、私自身、そのひとりでした。

 

 

 

でも、何度も言うけれど、

 

「空」と「色」は、絶対的なセットなんです。

 

 

 

つまり、

 

「色」を通してしか、「空」は見えてこない。

 

 

 

いまここの、まさにこの自分が生きる世界を

 

ありのままに見つめることでしか、

 

「ほんとうのこと」は見えてこないんです。

 

 

 

逆に、それをありのままに見つめることさえできれば、

 

求めていたものは、すでにそこにあったと気づけるでしょう。

 

 

 

この世の中には、

 

「ほんとう」とセットになっていないものなんて、

 

ひとつだって存在しません。

 

 

 

カップの底の落としきれない茶渋、

 

踏みつけられてどろどろになった雑草、

 

10トントラックの排気ガス、

 

夕方以降の両足のむくみ、

 

どうしようもなく頭をもたげてくる嫉妬心、

 

誰かやなにかを激しく憎む気持ち……

 

 

 

およそ「真実」とはかけ離れたところに

 

あるように思われる事象だって、

 

いつだって、それとともにあるのです。

 

 

 

いまここにそれがある、ということは、

 

すでにゆるされている、ということ。

 

 

 

「ゆるし」の主体は、いったい、誰?

 

あるいは、なに?

 

 

 

その答えは、間違いなく、いまここにあります。

 

 

 

大丈夫。

 

いまここを見つめることは、

 

こわいことなんかじゃ、ないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しっとりとした雨にぬれる東京の朝です。

 

よい一日をお過ごしください◎