「自分」という壁について。

2016年5月1日

「自分」という壁を突破したときに、

 

(というか、「自分」という壁なんかそもそもなかった!

 

という気づきが訪れたときに、というのが正確ですが……)

 

世界はありのままの姿を見せてくれるのだなあ、

 

と、そんなことを思います。

 

 

 

「ほんとうのこと」を探っていくと、

 

いろ~んな情報が入ってきます。

 

たとえば、「すべてはただ起こっている」とか、

 

「ゆるされて存在している」とか。

 

私もよく言いますけれど。

 

それは、ほんとうに「ほんとうのこと」なんですけれど、

 

やっぱりね、そういうメッセージを受け取るときに、

 

「自分」っていう壁が、

 

どうしても邪魔をしてしまうんですよね。

 

 

 

「自分」だけを特別視してしまうと、

 

もっと具体的に言えば

 

「自分」だけを世界からはみ出させて考えてしまうと、

 

やっぱり、話がややこしくなってしまう。

 

 

 

よくあるのが、

 

「すべてはただ起こっているだけ」と聞いて、

 

「じゃあ自分はなにもしないようにしよう!」

 

と思ってしまう、っていうやつですね。

 

「ただ起こっているだけなんだから、

 

自分がなにかしたところでどうしようもないじゃん」って。

 

 

 

いやいやいや。

 

「すべてはただ起こっているだけ」の「すべて」の中には、

 

間違いなく「あなた」も入っていますから。

 

「あなた」をもひっくるめた「すべて」の話をしていますから。

 

 

 

あたまで「すべてはただ起こっているだけ」と理解したところで、

 

思考や感情や感覚は、これまでとまったく変わらず、

 

あまりにもふつうに起こってくるでしょう?

 

 

 

それでいいんですよ。

 

ほんとうに、なにも問題はない。

 

 

 

「あなた」という現象をもひっくるめて、

 

すべては、ただ、起こっているのだから。

 

 

 

だから、無理に「なにもしないぞ!」って力むこともなく、

 

そのときそのときにごくごく自然に湧きおこってきた

 

思考や感情や感覚に従って、これまで通り動いていればいいんですよ。

 

というか、「そうしよう!」と思うまでもなく、

 

ごくごく自然にそうなっているでしょう?

 

 

 

「自分」すら“それ”だった!

 

って、そういう気づきが起きてくると、

 

世界に「問題」なんかひとつもなかったことが

 

理屈を超えたところから理解されます。

 

 

 

ほんとうの平和はそこにあるんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うっすら明るい東京の朝です。

 

よい一日をお過ごしください◎