自力すら、他力の中に

2016年5月6日

昨日、夫の地元にある、

 

昔ながらの小さな遊園地に行きました。

 

こどもの日、ということもあって、園内は

 

多くの親子連れでにぎわっていました。

 

大人二人で遊びに来ているのなんて

 

我々ぐらいのものだったような……。

 

そこで、椅子に座った姿勢のままにペダルをこいで

 

園内の上空を一周できる二人乗りのアトラクション

 

(この説明でイメージできますか?)

 

の列に並んだのですが、

 

そのときの我々夫婦の会話が以下です。

 

 

 

私「あ、これ、完全に自力駆動の乗り物なんだね……」

 

夫「そうだね。でも、自力だって、他力の中にあるから」

 

私「あはは! ほんと、その通りだわ」

 

 

 

気持ち悪い会話ですね……(笑)

 

だけど、確かに、「真理」です。

 

 

 

「自分の力で動いている(動かしている)」という

 

大きな勘違い、思い違いすら、

 

仏さまの手のひらの上で起きていること、なのだとしたら?

 

 

 

壮大な勘違い、思い違いすらゆるされて。

 

じたばたして、汗水たらして、

 

もがき苦しむことすらゆるされて。

 

 

 

仏の慈悲は大きすぎる。

 

それゆえに、時に、個人の視点からは、まったく理解できない。

 

 

 

けれど、「理解できない」ことすら、

 

すでに仏の大きな慈悲の中にあったことを知るとき、

 

私たちは、愛ということばのほんとうの意味を知るのでしょう。

 

 

 

遊園地のアトラクションごときで大げさかな?(笑)

 

まあ、これもまた仏のはたらき、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎