カラスの声も、スズメの声も

2016年5月9日

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みなの衆がこちらを向いて、身どもがこう言うことを聞いてござるうちに、後ろにて烏の声、雀の声、それぞれの声が、聞こうと思う念を生ぜずに居るに、烏の声、雀の声が通じ別れて、間違わずに聞こゆるは、不生で聞くというものでござるわいの。その如くに一切のことが不生で調いまする。

 

(『盤珪禅師語録 附 行業記』 鈴木大拙=編校 岩波文庫 より抜粋)

 

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たとえば、いま、あなたがこのブログを読んでいるのは、

 

あなたの意志にもとづく行為の結果でしょうか?

 

 

 

どうでしょう?

 

「はい」でも、「いいえ」でも、

 

答えはどちらでもOKですよ。

 

 

 

次。

 

 

 

あなたがこのブログを読んでいるときも、

 

常になんらかの音が聞こえていますよね?

 

カラスの声だったり、スズメの声だったり、

 

車の走り抜ける音だったり、

 

風に木々の葉がそよぐ音だったり……。

 

私たちの日常には、実にいろいろな音が溢れています。

 

 

 

さて、ここで質問です。

 

 

 

あなたは、それらのすべてを、

 

自分の意志をもって聞き分けていますか?

 

 

 

ブログを読むのと同時に、ですよ。

 

ディスプレイ上の文字の連なりに目を落としながら、

 

「これはカラスの声!」

 

「あれはスズメの声!

 

「車の音!」「風の音!」

 

という風に、いちいちすべてを確かめて、

 

判別して、ことばをあてがって……

 

っていうようなこと、していますか?

 

 

 

どうでしょう。

 

 

 

こういう風に見ていくと、

 

自分の意志などまったく存在しないままに、

 

すべては“おのずから”そのようにととのっている!

 

……という気づきが起こってきたりしませんか?

 

 

 

ほんとうは、これに限らず、ひとつ残らず、

 

すべて“おのずから”そのようにととのっているのだとしたら?

 

 

 

「自分が意志をもってこれをやっている!」という思いすら、

 

“おのずから”そのようにととのっている、

 

の包摂の中にあるのだとしたら?

 

 

 

信じられないほど、気楽に生きていけると思いませんか?

 

 

 

気楽に生きても、いいんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたのこころが安らかでありますよう。

 

よい一日をお過ごしくださいね◎