悲しみ、怒り、やるせなさと同時に。

2016年5月13日

「すべてはただ起こっているだけ」

 

……と言うと、やっぱりね、どうしても、

 

「世の中にあまたある戦争や犯罪も災害も

 

ただ起こっているだけなのですか?

 

あなたはそういったものに対しても、

 

なにも感じず、ただ傍観しているだけのですか?

 

それって人でなしじゃないですか!?」

 

みたいな反応が出てきてしまうと思うのですが、

 

いやいや、そんなわけないでしょう!!! と。

 

 

 

もう、過去幾度も書いてきたことですが、

 

このあたりの勘違いがとても多いようなので、

 

(そして、私自身、思いっきり引っかかっていたところなので)

 

しつこいけれど、また書きますね。

 

 

 

「すべてはただ起こっているだけ」なんです。

 

「すべて」ですよ。

 

「すべて」って、文字通り「すべて」です。

 

つまり、その「すべて」の中には、

 

「個人的な思考・感情・知覚」だって、

 

ばっちり含まれているんです。

 

 

 

だから、悲惨な戦争や犯罪や災害に胸を痛めたり、

 

涙をこぼしたり、ときに激しい憤りを覚えたり……

 

といったことだって、ごくごく自然に起こってくるんです。

 

 

 

当然ですよ。人間だもの。

 

人間が人間である限り、

 

ありとあらゆる反応から自由になることはないです。

 

私たちは、縁の網目の中に、

 

どうしようもなく組み込まれた存在なのだから。

 

 

 

でも、「それでいい」んです。

 

というか、「それしかない」から、

 

それぞれの反応が問題にはならないんです。

 

 

 

世界から「自分」を除外しないでください。

 

というか、そんなことは不可能でしょう。

 

 

 

「あるがままに生きよう」と力むまでもなく、

 

私たちは、すでにどうしようもなく、

 

「あるがままを生きている」んです。

 

 

 

悲しみ、怒り、やるせなさが湧き上がってくると同時に、

 

すべてはすでに縁の中にあり、

 

ほんとうはどこにも問題はない、という気づきが、確実に、ある。

 

 

 

同時なんです。

 

 

 

だからこそ、喜怒哀楽にこころとからだを任せつつ、

 

根っこの部分で深く深く安心していられるんです。

 

 

 

いのちを生きるって、こういうことだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎