「私が仏を見ている」のか。「仏が私を見ている」のか。

2016年5月16日

以前、ずいぶん熱心に仏像を拝んでまわっていた時期がありました。

 

一度像に手を合わせたら、30分はその場から離れない、という感じ。

 

 

 

そのときの私の意識は、

 

「私が仏を拝んでいる/見ている」

 

……というものでした。

 

それを疑いもしていませんでした。

 

 

 

しかし、あるとき不思議なことが起こったのです。

 

あるお寺の、ある仏像の前で両手を合わせてしばらくしたら……

 

「私が仏を見ている」のか、

 

「仏が私を見ている」のか、

 

ふいに、さっぱりわからなくなってしまったのです。

 

 

 

そのとき、「私」と「仏」は、

 

完全に地続きのものとしてありました。

 

ふたつの概念の間に、一切の分離が存在しなかった。

 

 

 

ちょうどメビウスの輪のような感じ。

 

「私」という意識を辿っていったら、

 

いつの間にやら「仏」の意識に変わっていて、

 

「仏」という意識でいたつもりが、

 

いつの間にやら「私」の意識に戻っていて、

 

それが永久に繰り返されていて……。

 

 

 

こう書くとタイムラグがあるような感じですが、

 

実際には、それはまったく同時に起こっていました。

 

 

 

曼荼羅の中に取り込まれてしまったような気分でした。

 

というか、この世がこのまま曼荼羅なんだ……と、

 

理屈を超えたところから理解した瞬間でした。

 

 

 

それが数年前の出来事。

 

時を経て、最近、私は、こんなことばを知りました。

 

 

 

私が神を見ている目と、神が私を見ている目は、同じものである。

 

The eye with which I see God is the same eye with which God sees me.

 

 

 

中世ドイツのキリスト教神学者、

 

マイスター・エックハルトのことばだそうです。

 

 

 

あたまでは理解できないことばだと思いますが、

 

私は、ここに、大きな真実を感じるのです。

 

 

 

解説をつけようと思えばできますが、

 

ここではなにも言わずに、

 

それぞれに味わっていただいた方がいいかもしれません。

 

 

 

私が神・仏を見ている目と、神・仏が私を見ている目は、同じものである。

 

 

 

あたまで考えずに、

 

広い空間にポーンと投げ出されたような感じで、

 

「神仏」あるいは「世界」と、「私」との関係性を、

 

ただ、感じてみてください。

 

 

 

……というところで、今日は終わりにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月曜日ですね。

 

よい一週間のはじまりを◎