縁と自由意志

2016年5月20日

「すべては縁次第なんです」という表現を使うと、

 

みなさん「そうだそうだ」とうなずいてくださいます。

 

 

 

でも、「自由意思はありません」と言うと、

 

いっせいにそっぽを向いてしまうんですよね(笑)

 

 

 

同じことを言っているんだけれどなあ。

 

 

 

まあ、気持ちはよくわかります。

 

「自由意思はない」と聞くと、

 

「自由」を失う気になっちゃうんですよね。

 

 

 

でも、実際、そんなことは一切ありません。

 

というか、

 

「自由意思なんかない」を見抜いたところにしか、

 

ほんとうの「自由」はないんです。

 

 

 

ほんとうの「自由」って、所有格のつかない「自由」です。

 

「私の自由」「あなたの自由」「彼女の自由」「彼の自由」……

 

そんな風に、個人に制限されない「自由」があるんです。

 

 

 

というか、本来ここには「自由」を私物化できる存在なんてない。

 

ひとつだってないんですよ。

 

 

 

すべてはご縁という名の大海の中で、

 

瞬間ごとにあらわれては、

 

次の瞬間にはまた大海へと戻っていく、

 

ひとひらの波のようなもの。

 

 

 

波は、波自体の大きさや、かたちや、進む方向を

 

自分自身で決めていますか?

 

決めていないですよね。

 

というか、「決められない」ですよね。

 

 

 

すべての波は大海(縁)のダイナミズムの中から生まれてきたもの。

 

そういう意味で波自体に「自由意思」はありません。

 

 

 

そもそもそこに個別の独立した実体としての

 

「私」や「あなた」や「彼女」や「彼」はいないですよね。

 

実体のない存在は、なにひとつ「所有」できません。

 

「自由」だって、あるいは「不自由」だって、

 

自分のものとしてホールドすることはできないんです。

 

 

 

「私の」も、「あなたの」も、「彼女の」も、「彼の」も、

 

つまり、すべての所有格が消え去ったところに……

 

というか、そもそもそんなものは世界には存在しなかった!

 

ということが見抜かれたところに、

 

はじめて、ほんとうの「自由」が顔を出します。

 

 

 

波としての自分に固執するのではなく、

 

大海としてのほんとうの自分にゆったりとくつろぐ……。

 

「自由」、言い換えれば、絶対的な「安心」は、

 

そこにただただ横たわっているのではないでしょうか。

 

 

 

まあ、「自由意志はある!」っていう勘違いだって、

 

ご縁の大海の中から生まれてくるものなので、

 

なにひとつとして、悪いことではないんですけれどね。

 

 

 

「自由」を生きていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日を◎