私は人間です。

2016年5月31日

最近、ある方から、このブログに関して、

 

「30そこそこのお姉さんが書く文章としては

 

達観し過ぎていて、少々、胡散臭いなあ~」

 

とズバッと言われてしまいまして。

 

「〝借りもの〟の言葉で綴っているとは思わないし、

 

きちんと自分の中で消化した上での

 

内容だということは伝わってきます。

 

しかし、何の〝屈折〟もなく、

 

こんな言葉が出て来るはずがない! と疑ってしまいます」

 

と。

 

 

 

あはは。そうですよね。

 

至極至極ごもっともなご意見です。

 

ストレートなご感想、ありがとうございます。

 

 

 

昨日も、別の方から、

 

「小出さんのことばは、あまりに迷いがなくて、

 

恐れにまみれている私には

 

眩しすぎるように感じる時があります」

 

と言われてしまいましてね……。

 

 

 

なるほど、これも、そうかもしれないな、と。

 

ごくごく素直に反省いたしまして。

 

今日はそのあたりのことに向き合ってみようかと。

 

 

 

いや、一度でも直接お会いしたことがある方には

 

思いっきりご納得いただけると思うのですが、

 

小出遥子自身は、はっきり言って

 

ものすご~~~く「ふつう」な人間なんですよ。

 

ほんとうに、ふつう、です。

 

 

 

「達観しすぎている」こともなければ、

 

「眩しすぎる」ことだって全然ない(笑)

 

迷うことだってあるし、

 

恐れを感じることだってあるし、

 

怒ることだって、怒られることだってあります。

 

(先日も、夫の机の上に載っていたチョコレートを

 

我が物顔で食べて怒られ、そして呆れられました……。

 

「お詫びに……」と買ったチョコパイすら

 

結局自分で食べてしまいました……。

 

我ながら情けない! っていうか意地汚い!!!)

 

 

 

でも、なんでそんなごくごく「ふつう」な人間が、

 

(というより、標準よりもちょっとばかり(?)

 

アレなところも多い人間が……)

 

こんな「屈折や迷いのない」と形容されるような

 

文章を書いて、平然としていられるのか???

 

 

 

それは、たぶん、「屈折や迷いだらけの自分」に

 

ただただ気づき、大きく包んで受け入れている

 

“自分”の視点(厳密に言えば「視点」じゃないけど)から

 

ことばを紡いでいるからなのだろうな、と……。

 

 

 

この“自分”っていうのは、小出固有のものでは決してなくて。

 

どんな方でも、いま、この瞬間、それとともにあるんですよ。

 

それとともにあるからこそ、

 

自分の思考や感情や知覚に気づくことができるんです。

 

 

 

ただただすべてに気づいている“自分”は、

 

表面上の私が、どんなに屈折しても、迷っても、

 

いつだって静かで、穏やかで、

 

1ミリだって傷つくことがありません。

 

細かな波が、表面で、瞬間ごとに生滅を繰り返しても、

 

海自体にはなんの変化もないように。

 

 

 

海としての“自分”が、

 

波としての小出遥子として文章を書いている。

 

その結果が、この毎日のブログなんです。

 

 

 

つまりなにが言いたいか、というと、

 

小出遥子は人間です、っていうことですね(笑)

 

当たり前すぎる結論ですが……。

 

これまでもずっと人間だったし、

 

これから先も、ずっとずっと人間です。

 

人間としてのいのちが終わるまではね。

 

 

 

ご理解いただけても、いただけなくても、

 

とりあえず今日はこれで終わりにします。

 

今朝の小出遥子は、ふつうの人間らしく、

 

腰と下腹部に痛みを感じているので……。

 

(求む、生理痛の緩和方法! 涙)

 

これアップしたら、また、横になりまーす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎