どうあっても大丈夫

2016年7月2日

「どうだっていい」

 

……と言うと、随分と投げやりで

 

無責任な態度だと思われるかもしれませんね。

 

 

 

まあ、確かに、この表現は

 

ちょっと強すぎて、誤解を生みやすいかな。

 

 

 

それならば、

 

「どうあっても大丈夫」

 

……は、どうでしょう?

 

 

 

「どうあっても大丈夫」は、

 

真理のことばです。

 

 

 

真理のことばというのは、

 

「この(個の)私から出ていることば

 

“ではない”ことば」のことです。

 

 

 

個としての私には、

 

「どうあっても大丈夫」ということばは、

 

決して言えないようになっているんです。

 

 

 

なぜなら、そもそも「私」という意識自体が、

 

不安や恐怖で形作られているから。

 

 

 

不安や恐怖の真っただ中にいる「私」には、

 

「どうあっても大丈夫」とは言えない。

 

 

 

もし言えたとしても、

 

そのことば自体が

 

不安や恐怖の表現になってしまうでしょう。

 

 

 

でも、もし、その不安や恐怖自体が

 

実体を持たない“まぼろし”だったとしたら?

 

 

 

つまり、「私」という意識そのものが、

 

ほんとうのところ、どこにも“ない”のだとしたら?

 

 

 

そこにはもう、

 

「大丈夫」しか残らないのではないでしょうか。

 

 

 

不安に襲われている「私」がいても、

 

恐怖感から行動を選択する「私」がいても、

 

それすら絶対的な「大丈夫」のあらわれにすぎなくて……

 

 

 

そこではじめて、「私」以前のことばとして、

 

「どうあっても大丈夫」が聞こえてくるのでしょう。

 

 

 

南無阿弥陀仏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎