二項対立は超えられている

2016年7月3日

私の表現の根底を流れるテーマのひとつに

 

「二項対立を超えて」みたいなものが、

 

ひとつ、どーんとあるかと思います。

 

……ありますよね?

 

伝わっていますか!?(笑)

 

 

 

でも、これも微妙なところなんですけれど、

 

私は決して、

 

「二項対立を超えましょう!!!」

 

と訴えているわけではないのです。

 

 

 

私の主張(というほど激しいものでもない)は、

 

どちらかと言えば、

 

「いつだってすでに二項対立は超えられている、

 

そのことに気づくことができたらいいですよね」

 

というようなものなんですね。

 

 

 

これ、ほんとうにそうで。

 

この世はすべて「ふたつにあらず」であって、

 

そこには、そもそも、

 

「対立」という概念は存在しない、

 

というか、

 

存在できない、のですよね。

 

 

 

それを対立させているのが、

 

私たちひとりひとりの思考なんですね。

 

 

 

分離なんて、そもそもあたまの中にしか

 

存在しない、というか、できないわけで。

 

 

 

かと言って、

 

それなら分離的な思考をやめたらいいじゃん!

 

……とか、そういう単純な話でもなくて。

 

 

 

だって、分離的な思考だって、

 

必要だから出てきているわけでしょ。

 

それを「なくそう」なんて傲慢だし、そもそも無理です。

 

 

 

じゃあどうしたらいいのか。

 

 

 

「いまここ」と、

 

ただ、ともにあればいいんです。

 

 

 

「いまここ」は、ただ、これだけ。

 

 

 

二元的、分離的な、

 

なにかとなにかを区切ってしまうような思考すら、

 

すでに、「いまここ」の圧倒的な包摂の中にある。

 

 

 

「超えよう!」と力むのではなく、

 

すでに「超えられている」ことに、ただ気づく。

 

 

 

そういう「超え方」しか、あり得ないのだと思います。

 

 

 

「私」が降参し切ってしまったとき、

 

それは、ふいにあらわれてくれるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も暑くなりそうですね。

 

よい一日をお過ごしください◎