徒党なんか組まなくていい

2016年7月5日

「徒党を組む」といった現象、

 

また、そうせざるを得ない人々の

 

心の底にあるものについて、

 

ぼんやりと考えています。

 

 

 

というのも、私はもう、昔っから、

 

それこそ幼稚園生時代、いや、それ以前から、

 

「集団」っていうものが苦手で。

 

 

 

「集団行動ができないワガママなやつ」

 

と言われてしまえばその通りなんですが、

 

(ほんと! 実際その通り! すみません!)

 

それ以上に、人間が集団になったときの、

 

あの、なんて言うんだろうな、

 

「のっぺらぼう感」って言えばいいかな。

 

それが、もう、ほんとうに怖くて。

 

怖いっていうか、

 

「ほんとにそれでいいの?」っていうのが

 

どうしても強くあってですね。

 

 

 

いや、ほんと、いつも言っているように、

 

人間、どう生きたっていいんですよ。

 

投げやりな意味じゃなくてね。

 

これはもう、ほんとうに。

 

どう生きたっていい。

 

なにも問題はないんです。

 

 

 

でも、せっかく生きているんなら、

 

「自分」に与えられた役割をまっとうして……

 

まあ、平たく言えば

 

与えられた「個性」をいかんなく発揮して、

 

地に足の着いた誇りをもって

 

瞬間ごとのいのちのあらわれを

 

楽しんでいきたくないですか? と。

 

のっぺらぼうなんてつまんないよ。

 

 

 

徒党を組まざるを得ない人間の心理のベースには、

 

どうしようもない孤独感、そして分離感

 

っていうのがあるんじゃないかな、と思うんです。

 

 

 

誰ともつながれていない感じ。

 

宇宙のすべてと切りはなされて

 

自分ひとりがさまよっている感じ。

 

 

 

それが強すぎて、寂しすぎて、恐ろしすぎて、

 

だからこそ「集団」を作ってしまう。

 

 

 

でも、どうなんでしょう。

 

人間って、ほんとうにひとりで生きているのかな?

 

 

 

本来的には、「私」と「あなた」、

 

「私」と「世界」の間に、

 

境目なんか、一ミリだって存在していない。

 

境目なんか、あたまの中にしかないんです。

 

 

 

分離はまぼろし。

 

ほんとうは、すべてと、つながっている。

 

 

 

「つながろう!」と焦らなくても、

 

本来的には、ちゃんとすべてとつながっている。

 

最初からつながっているんです。

 

 

 

その「本来的なつながり」を思い出したのなら、

 

集団に属する安心感を求めなくてもよくなる。

 

こころの底から安心して、

 

ただ、「自分」でいられるんです。

 

 

 

「ばらばらに切り離された状態で生きている」

 

って勘違いしているから、

 

「くっついていなきゃ安心できない!」

 

って思っちゃうわけですよね。

 

 

 

でも、「そもそも分離なんか存在していない」

 

ということを思い出して、

 

そこをベースに生きていけば、

 

安心の中から生まれる「個」を、

 

ただただ生きていけるようになるんじゃないかな。

 

 

 

その上で、集団の一員になるならなればいいし、

 

ならないならならないでいい。

 

 

 

でも、とにかく、

 

「孤独感」「分離感」という名の

 

「恐怖感」をベースに

 

誰かやなにかとくっついても、

 

満たされることはないんじゃないかなあ、と。

 

 

 

なんとなく、そんなことを思っています。

 

 

 

まあ、ほんとうに、

 

「どうあってもいい」んですけれどね。

 

でも、思うところあって、ちょっと書いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしくださいね◎