破壊と創造は同時、というお話

2016年7月8日

この話、前にも書いたと思うのですが……

 

ヒンドゥー教には三大神という概念があるのだそうです。

 

 

 

創造神・ブラフマー

 

維持神・ヴィシュヌ

 

破壊神・シヴァ

 

 

 

この三神が一体となって世界を司っている

 

……ということになっているみたいです。

 

 

 

うん。

 

 

 

わかる。

 

 

 

いや、ヒンドゥー教徒でもなんでもないのに

 

「わかる」

 

とかね、あまりに軽薄な感じですけれど、

 

でも、

 

「わかる」!!!

 

 

 

(あれ、私、昨日「わかることなんかひとつもない!」

 

とかって絶叫していなかったか……? 笑)

 

 

 

なにがわかるって、

 

この三神がセットでなければいけない理由が、

 

です。

 

 

 

もっと言えば、

 

三神の中に、

 

破壊の神・シヴァがいることの必然性が、

 

です。

 

 

 

いや、ほんと、

 

破壊がなければ創造もない、当然、維持もない

 

っていうのは、この世の真理ですね。

 

 

 

……っていうか、

 

破壊と創造は、

 

完全に、

 

もう完全に、完璧に、

 

「同時」

 

に行われていますね。

 

間違いなく。

 

 

 

これ、単にあたまで納得しているだけじゃなくて、

 

全身全霊でうなづいています。

 

 

 

っていうか知らしめられました。

 

最近、また。

 

ああ、これ、ほんとうだな……って。

 

 

 

もうね、ほんと、

 

「できた!」

 

と満足した瞬間に、

 

すでに破壊は始まっているし

 

「壊れちゃった……」

 

と嘆いた瞬間に、

 

すでに創造は始まっている。

 

 

 

同時なんですね。

 

 

 

で、そのふたつのはたらきが

 

「同時」にあるということ、

 

そこにこそ、というか、そこにだけ、

 

維持というはたらきが

 

存在しているのかもしれないな、

 

って。

 

 

 

(ヒンドゥー教の解釈は、もちろん

 

またぜんぜん違ったものだと思います。

 

これは小出流解釈です。あしからず!)

 

 

 

いやー、まあね、

 

しんどいと言えばしんどい道ですよ。

 

「完成」なんてどこにもないんだから。

 

ずっと歩き続けなきゃいけないって、

 

「まじかよ~」って思っちゃったりもします。

 

 

 

でもね、最近、ひとつ発見したのは、

 

ある方向性さえ見失わなければ、

 

ひとつ、なにかが破壊されて、

 

で、あらたな創造が始まったときには、

 

何ミリか、あるいは何センチか、

 

以前よりも視野が広がっている

 

まったくあたらしい自分に出会えるんだな、と。

 

それは、ほんとうに、間違いのないことだな、と。

 

 

 

安住の地なんかどこにもないですね。

 

生きているって、そういうことなんだな~。

 

 

 

でも、

 

「安住の地なんかどこにもない」

 

っていう事実に、

 

安らいでしまうことはできるかも。

 

 

 

というか、そこにしか安らぎはないのかも。

 

 

 

破壊と、創造の夏を迎えています。

 

しんどい、けど、楽しいです。

 

間違いなく。

 

 

 

生きていくって、ほんとうに、すごいことだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎