四次元ラッキョウ、再び

2016年7月15日

去年の4月にも、私、これと

 

まったく同じことを書いているのですが、

 

参照:四次元ラッキョウとしての私

 

いやー……

 

ホント、人間っていうのは、

 

というか「私」っていうのは、

 

四次元ラッキョウにほかならないな~

 

……なんてことを、あらためて感じています。

 

 

 

「四次元ラッキョウ」とは

 

小松左京氏の名作ショートショートのタイトルです。

 

むいてもむいても決してなくならない、

 

奇妙なラッキョウのお話です。

 

 

 

ラッキョウごときに翻弄される人間の姿が

 

なんとも滑稽で哀しくて……

 

壮大で奇想天外なラストには息を飲みます……。

 

オススメです。

 

いろんな単行本に収録されているみたいですね。

 

もしよろしければ。

 

短編小説作品名辞典「四次元ラッキョウ」

 

 

 

で。

 

「四次元ラッキョウとしての私」ですが……。

 

 

 

もうね、これ、ホント、

 

むいてもむいても出てくるんだな~

 

「私」っていうヤツは。

 

出てきて出てきて出てきて

 

もう、もう、もう、

 

「私」「私」「私」の大フィーバーですよ!!!

 

 

 

笑える。

 

いや、笑えない。

 

いや……やっぱり笑えるな~、ホント。(泣き笑い)

 

 

 

最近も、ある方と、

 

「脱皮にはキリがないですよね……」

 

と、

 

(SNSのメッセージ上で)

 

しみじみと語り合ったのですが、

 

ほんとうにね、

 

「はい、脱皮完了!

 

私は、私を脱ぎ捨てました!」

 

とかって、

 

キラキラした顔で宣言したとしても、

 

もうその時点で、

 

「私を脱ぎ捨てた私」がいるじゃん! っていう……。

 

 

 

あはは。

 

まさしく四次元ラッキョウですな~。

 

 

 

でも、私も、最近では、

 

これ、ぜんぜん悪いことじゃないんじゃないかな、

 

と思うようになりました。

 

 

 

「人間として生きる」

 

っていうのは、

 

「そのまま四次元ラッキョウとして生きる」

 

っていうことにほかならないんじゃないかな、と。

 

 

 

「四次元ラッキョウというストーリーを生きる」ことが

 

そのまま「人間として生きる」こと、というか。

 

 

 

むいてもむいても「私」が出てくる。

 

 

 

「私」というストーリーから

 

完全に自由になることなんか、

 

きっと、一生ないのでしょう。

 

 

 

でも、

 

その事実に対して肚をくくったところに、

 

「自由」は開けているんじゃないかな、って。

 

(念のため、「肚をくくる」と「開き直る」は違います)

 

 

 

四次元ラッキョウ、上等です!

 

 

 

余談ですが、私は子どもの頃から

 

「一定量以上のラッキョウを食べると

 

とんでもない高熱(39℃以上)が出る」

 

という不思議体質でして……。

 

なんの成分に反応しているのだろう。

 

こういう方、ほかにいませんか!?(笑)

 

 

 

ラッキョウも、「私」というストーリーも、

 

食べ過ぎには要注意ですな。

 

 

 

……おあとがよろしいようで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金曜日ですね。

 

よい一日をお過ごしください◎