冷えとり 5年目の雑感

2016年7月16日

久しぶりに「冷えとり」のことを書きます。

 

 

 

私は、ここ5年ほど、「冷えとり健康法」という

 

自然療法を生活に取り入れています。

 

きっかけは婦人科系のトラブルでした。

 

どうにかしたい一心で始めました。

 

 

 

冷えとり、というと、

 

冷え症を連想される方も多いと思うのですが、

 

(私もそうでした。)

 

冷え症であろうとなかろうと、

 

どんな人にも「冷え」はある、のだそうです。

 

 

 

「冷え」というのは、

 

上半身と下半身の温度差を差します。

 

たいていの人は、上半身は37℃近く、

 

下半身は31℃近く……で温度差があります。

 

その温度差によって、血や気の巡りが悪くなり、

 

さまざまな不調がこころやからだにあらわれてくる、

 

と「冷えとり健康法」では考えます。

 

 

 

「冷え」を解消するには、

 

ただ、下半身をあたためること。

 

基本は半身浴。

 

ぬるめのお湯にみぞおちから下を浸けて、

 

20分以上入浴します。

 

服を着ているときでも、できるだけ

 

半身浴の状態を作りたい、ということで、

 

天然素材の、薄い靴下を

 

最低4枚以上重ね履きします。

 

基本はこれだけ。シンプルな健康法です。

 

(もちろん、食事のとり方とか、こころの持ち方とか、

 

陰陽五行とか、その背景には

 

膨大な知識体系があるのですが、

 

まあ、基本は、ものすごくシンプルです。)

 

 

 

靴下の重ね履きにまったく抵抗がなかった

 

……と言えば嘘になります。

 

だって、これ、パッと見「ダサい」ですからね(笑)

 

でも、その頃は、もはや

 

なりふり構っていられないような健康状態だったので、

 

「やります! 履きます!」の一択だけでした。

 

半身浴も、毎日しました。

 

食事も、気をつけました。

 

こころの持ち方も、気をつけました。

 

 

 

結果、いま、私、めーちゃめちゃ健康です。

 

「冷えとり」を始めるきっかけとなった

 

婦人科系の不調は、

 

完全になくなったわけじゃないけれど、

 

もうほとんど意識にものぼらない程度にまで

 

おさまってくれました。

 

ほんとうにありがたいことです。

 

 

 

……となると、

 

「健康になったんなら、もういいじゃん。

 

もう、靴下重ね履きする必要ないじゃん。

 

やめちゃってもいいんじゃない?」

 

みたいな声が聞こえてきます。

 

 

 

まあ、当然のことだと思います。

 

短期的なダイエットと同じで、

 

目標を達成したらそれで終わり!

 

あとは「ふつう」の生活に戻るだけ……

 

という思考は、現代人の間に根強くあると思うので。

 

 

 

私自身、「冷え取り」を始めた当初は、

 

「健康になったら、こんな(ダサい)格好はさっさとやめよう。

 

前みたいに、素足にパンプスで街を闊歩してやるんだ~!」

 

なんてことを考えていたような気がするのですが……。

 

 

 

でも、

 

いざ、目標としていた健康状態を達成したとき、

 

私のあたまからは

 

「やめる」という選択肢は消え去っていました。

 

 

 

不健康だろうが、健康だろうが、ただやる。

 

……という感じ。

 

 

 

まあ、無理やり理由を探せば、

 

「足元があたたかい方が、心地いいから」

 

ということになるのですが、

 

決してそれだけじゃないんですよね。

 

 

 

なんだろうな……

 

うまく言えないのですが、

 

もはや、「冷えとり」とともにあることがふつう

 

みたいな感じになっているんですよね。

 

「冷えとり」が、

 

私の人生をベースから支えてくれていることが

 

理屈抜きにわかっているので……。

 

 

 

これ、依存とは絶対的に違うんですよね……。

 

靴下という物質に頼っている風に見えるかもしれないけれど、

 

そういうことじゃないんです。

 

万が一、すべての靴下が

 

この世から消えてなくなるようなことがあったとしても(笑)

 

変な話、私は「冷えとり」を続けると思う。

 

靴下の重ね履き以外の方法で

 

「冷え」と向き合い続けると思う。

 

 

 

だって、生きている限り、

 

「冷え」は産出され続けるんです。

 

昨日のブログに書いたことともつながっていくのですが、

 

人間として生きる、ということは、

 

「冷え」を持って生きる、ということと

 

実はまったく同じだと思うので。

 

 

 

「冷え」というのを「煩悩」と置き換えてもいいかもしれない。

 

もっと踏み込んでしまえば、

 

「冷え」=「煩悩」=「私」と言ってもいいかもしれない。

 

だから、ひとりの人間として生きている限り、

 

「冷え」(=「煩悩」)から完全に自由になることはないんだなあ、と。

 

 

 

……っていきなり「なに言ってるの!?」

 

みたいな話になりましたが(すみません)

 

うーん、ニュアンスが難しいな……。

 

 

 

たぶん、これ、坐禅や念仏と同じだと思うんです。

 

坐禅や念仏って「なにかのためにやる」ものじゃなくて、

 

「ただする」ものなんですよね。

 

目的や目標をもってやっているうちは、

 

それは坐禅や念仏にはなっていない、

 

みたいなお話は、いろんなお坊さんから聞きます。

 

その意味が、なんとなくわかるような気がしていて……。

 

(「一緒にするな!」と怒られちゃうかな~。)

 

 

 

まあ、ざっくりまとめてしまえば、

 

「いま」を生きる

 

というところに集約されるのですが……。

 

 

 

それを目指してやるわけじゃないけれど、

 

結果として、

 

「いま」以外に生きられなくなるというか……。

 

 

 

というか……。

 

うーん……。

 

やっぱりうまく書けないな。

 

単に「冷えとり信者の独白」みたいになってしまった。

 

ごめんなさい。長々書いておいてすみません。

 

もうちょっとまとまったら、またあらためて

 

チャレンジしてみようと思います。

 

 

 

ということで、今日も元気に重ね履き!!!

 

お仕事がんばりまーす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎