冷静と情熱のあいだ

2016年7月19日

7月前半は、私自身、気づきの連続で、

 

「うわ~! まじか! そうだったんか!」

 

みたいな、

 

「目からウロコが大フィーバー!!!」

 

みたいなことが、

 

それこそ大連続していまして、

 

ということはつまり、そういった気づきをもたらす

 

なんらかの「キツい体験」も大連続していたということで、

 

(もちろん、そんな体験なんかなくても

 

気づきを得ることは可能ですが……)

 

まあ、それも通りすぎてしまえば、

 

「いや~、あの時期があってよかったよ……」

 

なんて、しみじみ言えちゃったりするのですが、

 

渦中にいるときはね、まあ、なかなか

 

本人としては、しんどいものがありました。

 

 

 

でも、しんどいながらも、

 

私、どこか余裕だったんですよね……。

 

 

 

いや、単に私が不真面目な人間で、

 

目の前の「課題」に対して

 

ヘラヘラと笑って向き合っていた

 

……というわけではないんです。(たぶん。)

 

 

 

それなりに、まあ、大泣きもしましたし、

 

(主に自分に対して)大きな憤りも覚えましたし、

 

反省に次ぐ反省も、

 

たくさん、たくさん、たーくさんしました。

 

私なりに、ド真面目に

 

「課題」に向き合ってはいたんです。

 

 

 

でも、そうは言っても、どこか余裕だった。

 

ド真剣に泣きながら、怒りながら、反省しながら、

 

それでもベースの部分に「大丈夫」を感じていた。

 

 

 

なんだろうな……。

 

これ、どうにもこうにも説明が難しいのですが……。

 

 

 

「課題」にぶち当たって、

 

泣いたり、怒ったり、反省したりしている自分。

 

そういった「自分」がいることが「わかる」

 

……ということは、

 

そこに必ず、

 

「自分」以外の“なにか”がなければいけない

 

……ということになりますよね。

 

 

 

その“なにか”がなければ、

 

「わかる」ことすらできないので。

 

 

 

そうですよね。

 

 

 

あれこれしている「自分」に

 

ただ気づいている“なにか”。

 

 

 

その“なにか”は、決して「自分」ではなくて……。

 

 

 

「自分」ではないからこそ余裕を持って、

 

でもやっぱり「自分」だからこそ、

 

(すみません、ことばの限界!)

 

ド真面目に、ド真剣に、

 

「自分」という名のストーリーを

 

全力で味わっているような……

 

なんかね、ずっとそんな感じがしていました。

 

 

 

激しい感情と、

 

まったくの平静と……。

 

 

 

そのふたつは、まったく同時に、

 

調和以上の調和をもって、

 

同居することが可能なんですね。

 

 

 

というか、ほんとうはいつだってそうなっている。

 

 

 

こんなにアクロバティックなことが

 

「ふつう」に可能になっているだなんて……

 

 

 

やっぱり、生きるって、すごいなあ。

 

こんなに面白いことって、ないなあ。

 

これ以上の「大丈夫」なんか、どこにもないなあ。

 

 

 

……なんて。

 

ものすごくフラットに、そんなことを思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関東も梅雨明けかな?

 

よい一日をお過ごしください◎