「課題」はあっても「問題」はない

2016年7月20日

このブログは、毎日ほとんどあたまを使わずに

 

つらつらと書いているのですが、

 

(ちょっとは使え! という話も……)

 

それゆえに、自分で書いたはずのものに

 

「おお、そうだったのか!」

 

と、教えられることがあります。

 

 

 

昨日もそれがありました。

 

 

 

私、昨日の記事で、とくになにも考えずに、

 

「課題」

 

という単語を使ったのですが、

 

「このことばのチョイス、

 

我ながら、なかなかだな~」

 

と、書き上がった記事を読んで思ったんです。

 

 

 

あはは。

 

小出遥子さん、ずいぶん、ぼんやりしていますね~。

 

 

 

で、「課題」です。

 

これね、たぶん、以前の私だったら、

 

「問題」

 

ということばを使っていたと思うんです。

 

でも、昨日は、なにも考えず、

 

ごくごく自然に

 

「課題」

 

ということばをタイプしていた。

 

 

 

大げさかもしれないけれど、

 

まさしくここにこそ、

 

私自身が「LIFE」に対してどう向き合っているかが

 

にじみ出ているんじゃないかな、って。

 

 

 

あはは! ホントに大げさか!(笑)

 

 

 

って笑ってるけど、

 

これね、やっぱり

 

小さいようで、結構大きい違いだと思うんです。

 

 

 

その「違い」の正体は

 

「主体性」の有り無しでしょう。

 

 

 

やっぱりね、日々、生きていれば、

 

その時々に応じて、

 

「ちゃんと取り組むべきなにか」が

 

目の前にぽんっと投げ出されたりするんですよね。

 

 

 

で、

 

同じ「なにか」でも、

 

それに対するこちらの態度如何によって、

 

「課題」になるか「問題」になるかが

 

決まってくるんじゃないかな、って。

 

 

 

「課題」っていうと、

 

それをどっしり受け止めている感じがあるけれど、

 

「問題」っていうと、

 

なんとなくそれを迷惑がっているというか、

 

逃げ腰な態度が見え見えですよね……(笑)

 

 

 

まあ、どちらの態度を取ってもいいんだと思いますけれど

 

(それだって「縁次第」なので)

 

どうせやるなら(やらなきゃいけないなら)

 

すべてを「課題」として楽しんでしまった方が、

 

まあ、簡単に言えば、「楽しい」かな、と……。

 

 

 

その「楽しい」の中には、

 

「悲しい」も「腹立つ」も「もうヤダ」も

 

ぜんぶ入っていると思います。

 

 

 

でも、そういうネガティブな感情を味わうことすらも

 

いまここで取り組むべき課題だ!

 

と思って取り組んでいると……

 

なんかね、

 

やっぱり、楽しくなってくるんですよね。

 

 

 

こういうののひとつひとつが、

 

そのまま、

 

「LIFE」からのギフトなのかもしれないな、って。

 

 

 

そんなことを、しみじみと思っています。

 

 

 

ギフトを受け取れる自分でいたいです。

 

精進します!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎